蝦夷地を探検した人々の年代をおさらいしておくと、徳内が(1785〜1802)、重蔵(1798〜1806)、林蔵(1799〜1822)、 忠敬(1800)で4人ほぼ同時期である。
忠敬はこの後、北海道に足を踏み入れていない。この年函館で忠敬は村上島之允 の従者とした同行した林蔵と師弟関係を結んでいる。
村上島之允は重蔵と同行して国後島、千島に(1806)まで探検している。とうぜん島之允の従者の林蔵もいっしょである。林蔵が独立するのは(1808)樺太探検からである。
徳内も最初(1785)は 幕使、青島俊蔵の従者として国後島にくる、いつごろ独立したか不明である。
(1798)船頭高田屋嘉兵衛をともない,千島探検中の 重蔵と国後島で合流 し(1802)択捉島に「大日本恵登呂府」と書いた標注を建てて帰りました。

松浦は、40年ほど遅れて(1843)蝦夷地に来ている。


人物一覧
館潔彦
一等三角点と言えばこの人01/8/22up
矢島守一
日露国境劃定測量の長 01/8/27up
阿曾沼次郎
北海道の植民区画図作製に貢献 01/8/31up
伊能忠敬
4千万歩の男 01/11/23up
間宮林蔵
間宮海峡の発見者 04/3/10up
松浦武四郎
北海道の知名度no1 04/7/1up
近藤重蔵
忠敬より先に蝦夷探検している 04/3/10up
最上徳内
忠敬より先に蝦夷探検している 04/7/1up




北海道測量史要約




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